英語を学んで私が手に入れた4つのこと

今日は、私が英語を学んできて「本当に良かった」と感じることをお話ししたいと思います。
今では英語を使ってお仕事をしている私ですが、最初から順調だったわけではありません。

英語を学び始めた頃の私からは、この姿はまったく想像できませんでした。

当時は、

  • 間違えたらどうしよう
  • 発音が変だったら恥ずかしい
  • 周りの人の方が上手だから自分は話さない方がいいかも

…と、自分にたくさんの壁を作っていました。
そんな私が、学び続ける中でどう変わってきたのか。これから英語を学びたい方や、学んでいるけれど伸び悩んでいる方の参考になれば嬉しいです。

1. 正解はひとつじゃない

アメリカに留学してまず驚いたのは、「当たり前」だと思っていたことが国や文化によって全く違う、ということでした。

例えば授業中に発言するとき。
日本では手のひらをまっすぐ上げるのが普通ですが、アメリカの学生は人差し指だけをスッと上げて合図します。
最初は「それでいいの?」と戸惑いましたが、こちらではそれが自然なスタイルでした。

食事のマナーも違いました。
日本ではスープをすすると失礼ではありませんが、アメリカでは音を立てずに静かに飲むのがマナー。
また、日本では「残さず食べる」のが正解ですが、アメリカでは食べきれなかったら持ち帰るのが当たり前でした。ゴミも分別とか一切ないし。

買い物に行っても驚きがあります。
日本では「購入後使用済みは返品不可」が基本ですが、アメリカではレシートさえあれば、使用済みでも数ヶ月以内なら返品や返金が可能。当時お金のない学生の私にとっては、非常にありがたかったです。(冷蔵庫とかビデオ付きテレビとか湯沸かしポットとか色々お世話になりました。)

そしてもう一つ印象的だったのは、授業中のディスカッションです。
日本では「静かに聞く」のが礼儀ですが、アメリカのクラスでは教授が質問すると次々と学生が手を挙げて意見を言います。
「私はこう思う」「それは違うと思う、なぜなら…」と、同じテーマでも本当に色んな答えが出てくるのです。

国が違うとまた別のやり方があったり、色んな考え方を知れたり。
そういう「へーー!そうなんだー!」という体験をたくさんすることで、自分の視野がどんどん広がり、物事を多角的に見られるようになりました。

2. 完璧じゃなくていい

以前の私は、授業中に当てられても「もし間違えたら恥ずかしい…」と考えてしまい、なかなか声を出せませんでした。
一言一言、文法や発音を完璧にしようと頭の中で組み立てているうちに、発言のタイミングを逃してしまうことも多かったのです。

そんなある日、留学中に印象的な場面を目にしました。
他の国から来た留学生が、文法をかなり間違えている英語を、まったく気にせずにペラペラと話していたのです。
それに対して先生も特に指摘せず、自然に会話を続けていました。
会話はしっかり成り立っていて、むしろとても楽しそう。

その光景を見た私は、「そんなに間違えていていいの?!」と驚くと同時に、
「自分の意見を堂々と伝えている姿って、なんてカッコいいんだろう」と感じました。
そして、人の間違いばかり気にしていた自分が、少し恥ずかしくなったのです。

その時、はっきりと気づきました。
大事なのは、英語を“上手”に話すことではなく、「自分の意見を相手に伝える」ということ。

それ以来、「完璧な英語」を求めるのではなく、その瞬間の自分にできるベストを尽くすことを意識するようになりました。
すると不思議なことに、英語を話すのがもっと自由で、楽しくなっていきました。

3. 間違いは前に進んでいる証拠

英会話学校で働いていた頃、休憩時間にネイティブ講師2人と何気ないおしゃべりをしていました。
その時、私はちょうどハマっていたお気に入りの洋画に出てきたフレーズを、会話の中でふと使ってみたんです。

ところが――その瞬間、なぜか場の空気がピタッと止まりました。
2人とも一瞬固まって、なんとも言えない表情。
その時は理由がわからず、「あれ…何かおかしいこと言ったかな?」と思いましたが、特に気にせず会話を続けました。

後から考えてみて、やっと理由が分かりました。
そのフレーズ、実はとてもロマンチックな表現で、日常のカジュアルな会話に突然差し込むには場違いだったんです(笑)。

今なら笑える思い出ですが、当時は「使う場面や相手によって言葉のニュアンスは変わるんだ」と強く実感しました。
そしてその経験のおかげで、映画やドラマで覚えた表現を「どんな場面で使えるのか」意識するようになりました。

間違いや勘違いは、その時は恥ずかしいかもしれませんが、同時に忘れられない学びをくれます。
こういう失敗があったからこそ、今では少しずつ表現の引き出しも増えてきたのだと思います。

4. 自分の意見を持つ大切さ

アメリカ留学中、授業で教授がみんなにこう聞きました。
「What do you think about this topic?(このテーマについてどう思いますか?)」

するとクラスメイトたちは次々と手を挙げ、自分の意見を堂々と話し始めました。
「私はこう思う」「それは違うと思う、なぜなら…」と、みんな理由までしっかり説明します。
中には「うーん、まだよく分からないけど…」と前置きしてから話す人もいて、その正直さにも驚きました。

一方、当時の私は「留学生だから英語がネイティブじゃないし、発言しなくても多めに見てくれるだろう」という甘えた考えを持っていました。
授業後に教授へ質問に行くときも、「英語に敬語ってあるのかな?」と分からないまま、とにかく低姿勢で弱々しい話し方をすれば良いと思い込んでいました。
今振り返れば、そんな姿勢は全く意味がなく、むしろ自分の意見を持ち、自信を持って伝えることこそが大切だと、その後の経験で痛感しました。

ここで言う「堂々と話す」というのは、偉そうに話すことではありません。
自分の中にしっかりとした意見があるからこそ、自信を持って相手に伝えられる――その気持ちが「堂々」に繋がるのだと思います。
当時の私はそれが分からず、発言したくても何を言えばいいのか分からず、自分の意見も定まらないまま、ただただ周りの自信に圧倒されていました。

ある日、私と同じ意見を持っていたクラスメイトが、理由や背景を詳しく説明するのを聞いて、
「同じ意見でも、説明の仕方でこんなに印象が違うんだ」と感じました。

それ以来、たとえ短くても、自分なりの理由を添えて話すことを心がけるように。
意見を伝えることは相手を否定することではなく、「あなたのことを理解したい」というサインにもなる――そう気づいた瞬間でした。

英語は、私の世界を広げてくれた

私が英語に興味を持ったのは、ただの憧れからでした。
「英語が話せたらカッコいいな~」という単純な気持ち。
最初は発音を学んだり、試験を受けたりと、英語を“勉強”として捉えていました。

でも学びを続けるうちに、英語は単なる言語以上のものになりました。
自分の考え方が変わり、視野が広がり、物事をいろんな角度で見られるようになった。
失敗して落ち込んでも、前よりも早く立ち直れるようになった。
そんなふうに、生き方や考え方そのものが少しずつ変わっていったのです。

そして今も、英語を学び続けながら「去年の自分より成長できている」という実感があります。
それが嬉しくて、ありがたくて、これからも学びを続けていきたいと思っています。

だから本当は英語をやりたいけれど失敗するのが怖い人、年齢のことを気にして諦めてしまっている人、何から始めれば良いのか分からない人――
ぜひ勇気を出して一歩を踏み出してほしいです。

英語を学ぶことは、ただ言葉を身につけることではなく、あなた自身の人生を豊かにすることにつながります。
そして、その変化は必ずあなたの未来を広げてくれるはずです。


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